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ほんの数年

1968年という特殊な生年について

· 音楽雑感

私の周囲には

YMOの影響を受けた人々が大勢いる。ミュージシャン(取り分けキーボーディスト)にもだし、純リスナーにもだ。特に私にとってYMOとは人生を変えたバンド、人物、ムーブメント、その他だったので、逆に「影響を受けた人が多いこと」は当然至極のことであると思っていた。

Yellow Magic Orchestraのデビューは78年で、79年にはアルバム"Solid State Suvivor"がリリースされているのだから、その国民的人気音楽となったのは、1968年生まれの私が11歳/小学校5年生の時ではあるが、実際に私が"Technopolis"をテレビ番組のBGMで聴いて雷に打たれたようなショックを受けたのは翌年、80年/12歳/小学校6年生の頃であったはずだ。

その頃から頭の中はシンセサイザーに占められ、機材に囲まれひたすら鍵盤やシンセのパネルを凝視しつつ演奏するスタイルこそ当然普遍のものであると思い込み、それはずいぶん長い時間そう思っていたものだ。今思えばYMOというユニット自体が、そもそもある意味で斜に構えたプロジェクトであったと思う。だが小学校6年生にそんな判別はできないのだった(笑)。

YMOサウンドの中にはいわゆるロックギターの成分も含まれていて、そのプレイヤーは高中正義だったり鮎川誠だったり渡辺香津美だったり大村憲司だったりしたわけだが、脳みそがシンセ一色に染まってしまった小学生には「ギターってなんてかっこ悪いんだろう」としか思えなかった。変な音程の上下をするし(チョーキング)、ザラザラ汚い音だし(オーバードライブ)、音延びないし(当たり前)、シンセの方が断然かっこいいじゃん!と狂信的ですらあった。

このように書いてみると、当時日本全国の小学生がシンセ一色になっていたかのような錯覚をしてしまうのだが、当然そんなことはなく、また本来のYMOブームの中心にいたのはもっと上の年齢層の方々であったはずだ。冷静に考えれば1968年生まれなんてのは、YMOチルドレンとしては最若年層であろう。実はYMOが"BGM"をリリースした81年には、テレビで(しかも土曜の昼間に!)RC Successionの武道館ライブ(録画)が放送されたくらいで、いわゆるバンドブームが勃興しつつあった時期でもある。ほんの数年の違いで、私はギター少年になっていた可能性もあるのだ。

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思えばあの頃の世間の手の平の返し方ってのは極端であった(笑)。YMOが"BGM"、"Technodelic"と内省的で地味な(しかし音楽的には前人未到の深みを得た)作品をリリースしている間に、世の中はすっかり汗臭いバンドこそ最高!になっていたのである。だからなのか、やはり自分と同年代の人でYMOを起動ボリュームとしてキーボードを演奏する人は周囲にほとんどいなかった。中学生や高校生が(初期投資としては)より安価ですぐに弾けるギター/ベースに触手が伸びるのは当然と言える。周囲に音楽を嗜む友人はどんどん増えたが、「コイツには敵わない!コイツといっしょに演奏したい!」と思える相手が現れるのは、私の場合は高校2年生まで待たねばならなかった。もしかすると初めから少なかったのではなく、残らなかったのかもしれない。教室備え付けの足踏みオルガンでライディーンのメロディを弾けても、エンディングのピッコロアルペジオを弾けるヤツはごく少数だった。楽器演奏が趣味の範囲を超えられなかった人々の中に、YMOの影響を受けた人が少なかったのだろう。

ずいぶん年齢を重ねてから私もギターに夢中になる日々が来るのだが、ほんの数年早く生まれていたらギタリストだったかもしれないし、そもそもミュージシャンになってすらおらず、純リスナーのままでいたかもしれない…と考えると、ありきたりな言い方だが実に不思議に思えて仕方ない。