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つれづれ楽曲評論#2・秋からもそばにいて/南野陽子/1988年

80年代アイドル混迷期の隠れた名曲

· 楽曲分析

秋からもそばにいて/南野陽子 作詞:小倉めぐみ、作曲:伊藤玉城、編曲:萩田光雄【追記1】

南野陽子はアイドルなのだが、テレビドラマに女優として出演することでデビューを飾り、同時にそのドラマの主題曲を歌う形で歌手デビューも果たした。が、その歌は当然アイドルの片手間レベルのもので、タイアップに頼らない形でのヒット曲というものが実は無い。ドラマや映画、CMとくっつくことで露出を増やし、結果的に枚数が売れたので「ヒット曲」と言われているに過ぎない。しかしでは楽曲の力が御座なりにされてきたのかと言うと、そうとも言い切れない。おそらく本人の低い歌唱力との整合性を意識しつつ作られたと思しき初期の数曲を除けば、それぞれの楽曲には(主にスタッフサイドに)意欲と工夫を投入する努力が感じられる。

1988年-89年は南野が「歌手」として認められた大事な2年間だった。アイドルだか女優だか歌手だかはっきりしない宙ぶらりんな状態のまま楽曲リリースを重ねてきたキャリアが、ようやく実を結んだ2年間と言い換えても良い。87年末リリースの「はいからさんが通る」は、自身の主演映画の主題曲ということでヒットし、それまでと一転して明るくあっけらかんと歌う南野陽子像を改めて提示することにも成功した。【追記2】またアレンジとレコーディングがきちんと時代とリンクするようにアップデートされ、「はいからさん…」は大躍進の狼煙となった。続く「吐息でネット」「あなたを愛したい」でようやく楽曲単独の魅力獲得に成功した。特に「吐息でネット」は化粧品タイアップソングとして、岡田有希子「くちびるネットワーク」に匹敵する魅力的な曲になった。事ここに至り、出せば売れる歌手の新曲としてリリースされたのが「秋からもそばにいて」である。

この楽曲分析シリーズの第1回目で取り上げた「サーチライト/玉置浩二」同様に、この曲も演奏そのものは非常に廉い仕上がりだ。生演奏は(恐らく)ストリングスセクションのみで、それ以外はすべてサンプラーとシンセサイザーの多重録音である。ところが萩田光雄のアレンジが素晴らしい。ポール・モーリアもかくやのクラシカルなストリングスのフレーズは、南野のヴォーカルよりもある意味饒舌である。チェンバロやオーボエの音色もその雰囲気を高めるのに必須の音色選択。その必須の音色をパズルのようにはめ込むアンサンブルは非常にシンプルなのだが、的を射ているので廉さは感じない。

一方リズムセクションに目を向けると、こちらは実に淡々とした演奏だ。ダイナミックな演奏ができない打ち込み打楽器の特性を逆手に取っているとも言える。特にAメロとサビ部分、2小節ごとの4拍目に鳴るミュートボンゴとシモンズ系シンセドラムの8分音符が白眉。日本庭園の鹿威しのごとく曲を引き締めている。この淡々としたリズムセクションをバックにストリングスが思う存分歌うので、南野の歌の単調さが相殺されている。もし低予算レコーディング故の「選択と集中」だとすれば、このアレンジを担当した萩田光雄は策士である。

だが緻密なアレンジと打ち込み主体で廉くあげた演奏も、歌詞世界を理解した上で聴いてみれば、熟練策士の真摯な仕事であることもわかってくる。

好きよ好きよはなれないで 夏は遠く かすむけど
そらさないで みつめていて 愛を深く感じたい
 

1番

秋の風が 窓をたたく コテージ
二人きり 仲間には ないしょの旅ね
きっとみんな ぬけがけだと 怒るよ
つぶやいた横顔が 少し微笑んだ
 

瞳をふせて あなたの胸に
ゆっくり私 もたれていったの
 

そっとそっと 愛してるって 耳のそばでささやいて
こわれそうな勇気だから つつむように抱きしめて
 

2番

まぶたの奥 強い陽射し 浮かぶわ
グループで出逢ったね 夏の高原
そっけなくて でも本当は 優しい
読みにくい 性格の あなたに魅かれた
 

冷たい夜が 長い季節も
ときめく心 重ねてゆきたい
 

ずっとずっと 愛してるって 耳のそばでささやいて
髪をなでる あなたの手に 頬をよせてくちづけた
 

好きよ好きよはなれないで 夏は遠く かすむけど
そらさないで みつめていて 愛を深く感じたい
 

ずっとずっと 愛してるって 耳のそばでささやいて

この曲の発表当時、週に2-3本はあったと思われるテレビ歌番組では当然フルコーラスなど歌えない。1番とせいぜいサビのくり返し部分くらいだ。だからそのサイズでしか聴いた事がない人は、実はこの歌詞世界の奥深さを知らないということになる。その1番は恋歌としてあまりにもストレートなストーリーである。秋、どこぞのリゾートのコテージに泊りにきた若い(であろう)カップルの寸描である。だが2番の歌詞でこのふたりがどうやって出合い、このお泊まり旅行が如何に特別なのかを聴き手は知る。つまり2番まで聴いて初めて歌詞世界が理解できる。1番で現在を、2番で現在にいたる経緯を描く。時間軸を入れ替えることで「そうか!そういうことだったのか!」を味わわせ、歌詞世界との同化を助長しているのだ。また「秋の風が窓を叩く」とか「夏の高原」とかふたりの会話とか、具体的な言葉をあちこちにちりばめ、まるで聴き手が同じ空間や記憶を共有するような、広さと深さも同時に与えている。【追記3】

残念なのはまったくピッチの安定しない南野のヴォーカルなのだが、唯一にして最大のその瑕を歌詞世界とアレンジと演奏とが、寄ってたかって補完するどころかマイナスをプラスにひっくり返している。結果「秋からもそばにいて」は松田聖子衰退後のアイドル混戦時代にひときわ輝く佳曲になっているのだった。【追記4】

【追記1】「、」の謎
シングルCDジャケットの表記は「秋からも、そばにいて」だが、後に収録されたベストアルバムでは「秋からもそばにいて」と読点(、)が省略されている。JASRACのデータベースも読点無し表記である。このエントリーではJASRACデータベースに準拠した。

【追記2】メジャー調の楽曲が少ない件
80年代の南野のディスコグラフィは歌唱力の低さを隠すためマイナーな曲調ばかりだった。例外は「話しかけたかった」くらいだ。ちなみにおそらく「秋からも…」とどちらをA面扱いにするか相当会議で揉めたであろうB面曲「抱きしめてもう一度」も意欲的なメジャー調の曲で、なんと曲頭と転調する最後のサビ直前のフックには5/4拍子が1小節だけインサートされるという変わり種でもある。

【追記3】歌詞についての追記
「ギャップ萌え」ってのは古今東西、恋愛が始まる重要な要素なのですね。

【追記4】南野陽子のピーク後のアイドル界
89年になると南野は徐々に失速し、女優としての活動に軸足を移していく。その後アイドル=大人数のグループという図式が立ち上がり、それは作り手の寡占を生み、職業歌謡曲作家がどんどん減っている。