年齢を重ねても中学や高校に通っていた頃に浴びるほど聴いた音楽は脳みその中で鳴り続けるものだ。先日もふと「ピンクのモーツァルト/松田聖子/1984年」を思い出してしまった。例によってYouTubeには禄なエントリーはなく、iTunesStoreで1分くらい試聴すると返って欲求不満が募る。CDを買いに行くという息子に代金を預けて、収録アルバムを買ってきてくれと頼んだものの、もはやCD屋さんには松田聖子のCDなどほとんど置いていないのだった。iTunes Storeで買えば歌詞も演奏者クレジットもまったく不明な素材に2,100円も払うことになる。さてどうしたものか。
と言うのがだいたい半年くらい前の話で、ごく最近、息子にせっつかれて「SEIKO TOWN/松田聖子/1984」というアルバムをとうとうDL購入してしまった。収録曲を見ていただきたい。
01.ピンクのモーツァルト
02.蒼いフォトグラフ
03.瞳はダイヤモンド
04.Canary
05.夏服のイヴ
06.とんがり屋根の花屋さん
07.セイシェルの夕陽
08.Rock'n Rouge
09.硝子のプリズム
10.時間の国のアリス
11.赤い靴のバレリーナ
12.SWEET MEMORIES
いくらなんでも充実しすぎだろ!1984年は他にマダーナのライカバージェンだのプリンスのパーポーレインだの、ポップスの特異点かよ(マイコーのスリラーは1982年)。もっとも「SEIKO TOWN」は1983/1984年当時のシングルを中心に構成したベストアルバムらしい。にしても。
言うまでもないことだが、クオリティは恐ろしく高い。詞・曲・演奏・録音…。「松田聖子」という巨大なプロジェクトがものすごい勢いで日本中を席捲していたのは、私は肌で知っている。出せば売れることがわかっている音源に関わるプレッシャーを想像すれば、これら曲の超絶クオリティもムベナルカナという気もするが、とは言うもののそれを実際にやり遂げた先人に脱帽脱シャツ脱ソックスである。何より氷山の、海の上に出ているほんの一部の役目を堂々と果たしている松田聖子という人物の肝っ玉には、あれこれ言う前に「すげえ」の三文字しか思い浮かばない。
このアルバムを聴きまくって、ちょっと興味がわいたのでネットで歌詞を検索したり、YouTubeで収録曲の生パフォーマンス映像を探してみた(ディスる割には頼る)。当時は玉石混交で音楽番組がたくさんあったので松田聖子のテレビ出演映像など山ほど出てくるのだが、そのどれを見ても違和感が募る。それはなぜかと考えると、はっきり言ってスタジオで演奏した面々ほどの力量を、テレビ番組で演奏する人々がもっていないからではないか。演奏がカッコよくないのだ。そしてミックスもひどい。もっと言うと収音もひどい。松田聖子本人の歌唱は安定しているので(流石にスタジオ録音クオリティを常に維持しているわけではないが)、余計にバックの演奏の違和感が目立つのだ。
「ミュージックフェア」や「題名の無い音楽会」など、ある程度の見識を背景に作られている音楽番組はあるものの、当時ゴールデンタイムに溢れていた音楽番組は「音楽」が主役ではなかった。視聴者も「音楽」を聴いていたわけではない。そんな視聴者と付かず離れつの距離を保ちつつ歌謡曲は進化し続けて、都度新しい驚きを我々に届けてくれた。2018年の今、松田聖子的歌謡曲の最新進化形がAKBやEXILEなのだとしたら、自分にとってもはや歌謡曲というジャンルは絶滅したと言っても過言ではない。そのこと自体は悲しいけれど、私個人は松田聖子のアルバムが数枚手元にあれば生きていける。
その数枚の中には当然この「SEIKO TOWN」が含まれている。このアルバムはそれほど力を持っている。