私の曲作りプロセスは決してひとつではないが、頭の中でアイデアがある程度まとまったら、DAWに向かって実音として組み立てていくことになる。その時まず行うのは仮のドラムパターンの打ち込み。それは大抵2小節程度の長さで、音数もごく少ないシンプルなもの。きっちりクオンタイズをかけた音数の多いメトロノームであり、クリックである。その2小節程度のドラムパターンをコピーアンドペーストしてソング長5分くらいにする。ループ処理にしないのは、このあとの試行錯誤段階でもフィルを加えたり、ブレイクを置いたりする場合があるからだ。そうやってから今度は鍵盤に向かい、ハーモニーやメロディをMIDIレコーディングする。各フレーズの音色(担当させる楽器)はあとからじっくり考えるので、ここでの音色はたいていピアノかエレピ。コード進行とメロディのメモだから、そのどちらもまかなえる音色が便利なのだ。くり返しがある場合はこちらも躊躇なくコピーアンドペースト。味だのなんだのは求めない。ガイドなのだ。この段階ではひたすら作業の時間短縮が目的でもある。そしてハーモニーが明らかになったところで、今度は仮のベースラインをこれもMIDIレコーディングする。いかにも生ベース、いかにもシンセベース……みたいに楽器のキャラクターが立っていない方が良い。プラグインシンセで音色変化のない、フィルターも閉じ気味のシンプルな音色にする。これで曲の始点と終点は見える。こういうデータを私は「曲のスケッチ」と呼ぶ。正しくは素描=デッサンなのかもしれない。手書きの地図みたいなもので、自分にとっての「譜面(リードシート)」である。
さて問題はここからだ。スケッチ段階の自作曲は、まず間違いなくつまらない。プレハブ事務所に味わいが皆無なように、ある意味でそれは当然なのだが、それにしてもこのつまらなさは異常だ。毎度ため息が出る。頭の中で鳴っていた時はあんなに心躍るアイデアだったのに、今自分の耳で聴いているスケッチは、無機質で無味無臭。
実はこのスケッチの手書きの線を、太くしたり細くしたり、構図を考えたり色を塗ったりしていくことが、自分にとっての作曲であり、演奏であり、レコーディングであると言える。その手始めは、大抵ドラムデータの刷新から始めることが多い。最も新しいある曲は、生ドラムシミュレーションを試みた。しかもハイハットが16分音符を刻む、打ち込みドラムではなるべく避けたい案件。案の定ハイハットの打ち込みだけで何時間もかかってしまう。生ドラムシミュレートを試行する以上、コピーアンドペーストが使えないので仕方ない。
狭義のリズムセクション、つまりドラムとベースは一蓮托生だ。どんなに緻密かつ精密にドラムデータを打ち込んでも、ベースといっしょに鳴らさなければ善し悪しが判断できない。スケッチではシンセベースで弾いていたベースラインが死ぬほどつまらなかったので、逆張りでジャズベースを手弾きしてみた。するとここで急に曲が化けた。緩急が付き、ドラマが生まれた。人力の竿ベースによる良テイク(演奏)には、感情移入という薬味がある。もしくはそれに近い演出だ。そして私はこういう瞬間を体験するために音楽を続けているのだ。
ベースのフレージングにマッチしていないドラム側の音符やアクセントを整理して、曲の土台ができあがるとあとは早い。頭の中で鳴っていたフレーズをそのまま実音にしていくだけの作業だ。この曲の場合仮メロディの段階から鍵盤ハーモニカで実演していたこともあって、付け足していくフレーズも次々湧いてくる。ということで、カラオケを完成させるのは(リズムセクションを決めたあとは)早かった。一方で鍵盤ハーモニカの最終テイクダビングには一苦労。フレージングをあれこれ試しつつ試行錯誤。
もちろんすべての曲がこういう経緯を辿るわけではない。スケッチの段階で早々にやる気スイッチが入ることもあるし、8割り9割り作り込んで「やっぱりダメだこりゃ」となることもある。しかし多くの場合、生き生きとした、あるいはドラマチックなリズムセクションが構築できるか否かが成否の分かれ目のようだ。やはり自分は、躍動的な何かが曲の中に埋込まれていないとダメらしい。そしてそれは、いつもたいていは「想定外」の要素なのだ。