レポート#2
2023年4月14、15日岩手県花巻市の田舎labo主催にて開催された YMひょ② SPRING MEETUP KENBAN JEDI's Live "Public Beta"+「阪下教授の電気的音楽講座」 の概要・服部の主観的レポート・開催までの経緯を書き記すレポートの第2段。いよいよライヴレポートである。
阪下教授の電気的音楽講座の詳細を書いたレポート#1はこちら
KENBAN JEDI's Live "Public Beta" 2023年4月15日(土)15:00-17:00
演奏曲目
RYDEEN
TECHNOPOLIS
FIRE CRACKER
COSMIC SURFIN
※encore
BEHIND THE MASK
このライヴで目指したものは
- 現代のデジタル機材で78ー79年のYMOワールドツアーの演奏を再現する
- それは残されたライヴ音源の完全コピーではない
- 当時のYMOの「スピリッツ」の再現だ
である。当時の環境をデジタル機材で再現し、あれら希代の名曲をステージ演奏するなら、演奏者はどうアプローチするだろうか。どうしてもやってみたい。モノマネではなくミュージシャンとしてYMOの音楽に同じ環境下で挑戦し、消化してみたい。そういう動機だったわけだ。
構想と準備に10ヶ月かけてはいるものの、それでも出たとこ勝負な側面がありすぎた。もっとも鍵盤ジェダイくらいになると、これくらい不確定要素があった方が面白いみたいなことを言い出す(笑)。直前の2月に突然オファーされたサポートドラマー阿部吉智は、いったいどのような心持ちで当日を迎えたのか……。余談だが、阪下は当時高橋ユキヒロが使用していたシンセドラム「ポラード」のシミュレーションアプリも探し出した。MIDIパッド2段重ねでポラードを完全再現が阿部へのオファーに含まれていた。果たして阿部は楽しんで準備できたのか?そんなことを聞く暇も実は無かった。何しろ演奏者5人が全員揃って音を出したのは、ライヴ当日の昼近くなってようやく始まったサウンドチェックの席だったからだ。とにかくクリック(と自動演奏)が止まらないでほしいなぁ……というのが正直なところだった。
一方でそのクリック、自動演奏、そして各メンバーの演奏をヘッドフォン1本で過不足なくモニターできるのは新鮮な体験だった。大した音量でもなく、また大きな会場でもないから、ヘッドフォンを付けていたって周囲の音はダダ聞こえである。その中で命綱たるクリックと自分の出している音を過不足無く聴けるのは、実はすごく楽だった(だから止まらないでくれぇと祈ってもいたのだけど)。モニター環境の出来不出来は演奏者の集中力に直結だから本件はものすごく大事。ちなみに坂本龍一はクリックと自分の演奏しか聴いていなかったらしい。その話を聞いた時はホントかよと思ったが、実際自分が同じ環境に置かれると本当だろうと思えた。
2時間のライヴに事前準備していた曲が4曲。だから曲解説やら演奏の解説やら、このライヴに至った経緯からしゃべりまくった。そもそもジェダイ全員がメインでMCできる人たちである(笑)。聴衆から質問も受け付けた。特に「誰がどのパートを弾いているのかわからないから、ひとりひとり音を出してみてくれ」というリクエストは、このライヴの白眉だったと思う。RYDEENを題材に、自動演奏→細野(ベース)→矢野(バッキングパート)→高橋(ドラム)→坂本(メロディ)と、徐々にパートを増やしていくライヴ演奏は、私も初体験だった。演奏する側としては、曲を構成する各パートを理解していないと演奏できないが、純リスナーだとしたらそんなこと気にしないもんなぁ。この演奏は好評いただいたようだ。
同じ曲を複数回演奏したわけだが、シンセの音色を変えてみるという試みも面白かった。自動演奏フレーズはその場でソングデータをエディットして1オクターブ下げるとか、シンセベースのフィルターセクションのアタックを変えてみるとか。驚いたことにそれらが積み重なるとヘッドフォンの中のモニターバランスもまったく変わってしまう。自動演奏フレーズがしっかり聴こえないと、自分が今どこまで弾いたのか見失いそうになったし、ベースの音色が変わったことでグルーヴまで変わってしまった。とても面白い体験だったが、聴衆がいる本番で試してみるアイデアではなかったな(笑)。こういうところがこのライヴのタイトル「Public Beta」の所以ではある。
こういう試みをライヴ中にリアルタイムで行っていたので、いろいろな変化もあった。途中坂本役の服部の音が聞こえにくいという指摘を聴衆からいただいた。今なら解決手段もいくつか閃くが、ステージ上の服部はかなりキャパいっぱいいっぱいで、特効薬的な対処ができず。その後メンバーの誰かがうっかり「リクエストあれば……」なんて言ったものだから、聴衆からの強い要望により、まったく準備していなかった「BEHIND THE MASK」をぶっつけで演奏することになった。それは良い。いや良くないが(笑)。この曲には超絶有名なヴォコーダーパートがあるのだが、会場内の音響環境が微妙に変わってしまったこともあり、鍵盤を押下げただけでハウリングに近い音をヴォコーダーが出してしまう。しかも唄う人・服部は歌詞を覚えているわけもなく(前日の講座用に用意していた歌詞カードを、大騒ぎで楽屋から持ち出して対応)、歌詞カードを見つつハウリングを気にしつつ、その場で構成を打合せして決めるという荒技にとうとうキャパオーバー。予定の倍のサイズの演奏となってしまった。どうもヴォコーダーをライヴステージで使うと、誰もがこういう洗礼を受けるらしい(笑)。阪下も高橋も「あ、(ヴォコーダーって)そういうもんだから」と涼しい顔だった。
涼しい顔と言えば、北田はBehind……を演奏するのは生涯初だったらしい。じゃやりますかとなったその場で要所のコードや構成を矢継ぎ早に確認。阪下が心配して「譜面持ってこようか?」と問うも、「いらない!返って弾けなくなる!」と。これにはシビレましたね、あたしゃ。阪下、服部、高橋は前日の講座でいやというほど聴いているわけだから、構成はともかく弾くべきフレーズはなんとなくわかる(じゃあヴォコーダーパートでガタガタ言うなよって?はい、そのとおり)。しかし北田は聴いてはいたが一度も弾いたことがないのである。で、実際大きなトラブルもなく完奏。北田は火事場の馬鹿力と笑っていたが、誰でもできるこっちゃない。脱帽脱シャツ脱ソックスである。付き合わされた阿部も災難だったと思うが、しっかりお決まりのフィルインをキメた上に、エンディングまでの迷走をしっかり迷いなく叩いたのだからこっちもすごい。
服部暁典(坂本龍一パート)
北田了一(矢野顕子パート)
阪下肇之(松武秀樹パート他なんでもかんでも)
高橋ごん(細野晴臣パート)
阿部吉智(高橋ユキヒロパート)
鶏卵論争ではないが、このメンバーだからこういうことができたとも言えるし、このメンバーじゃなければそもそもこの企画に辿り着かなかったとも言える。またメンバーの高橋が経営する「田舎labo」というスペースがあったことも大きい。経費の面で大きなアドバンテージになっただけでなく、オリジナルグッズの販売もあったことで、いっきに「ライヴイベントっぽく」なった。特筆すべきは視覚・聴覚双方から演奏をサポートするアイデアだ。当時のYMOライヴステージの象徴的機材に松武秀樹のE-muのモジュラーシンセがある。あまりの大きさに家具の箪笥になぞらえて、今でも「タンス」と呼ばれるアレだ。今回モジュラーシンセはVCV Rack2というフリーウェアで賄ったので、巨大な実機は無い。だが自動演奏やサウンドエフェクトはほぼすべてこいつが鳴らしているのだから、「あれはどうやって鳴らしてたのかねぇ」で終わるのは惜しい。そこでプロジェクタでVCV Rack2の画面を大写しにした。むしろタンス実機よりも盤面を拡大して見ることができ、視覚的インパクト増し増しであった。それだけではない。チケット料金に簡易FMラジオが同梱されていた。阪下の用意したFMトランスミッターで、観客は坂本役の服部がヘッドフォンで聞いている音を、手元のFMラジオを使って同時に聴くことができたのだ。手前味噌承知で書くが、こんなライヴあるか?前代未聞の試みだった。しかもFMラジオにはJEDIロゴ入り。治具まで作ってロゴをシルクスクリーン印刷する高橋のテンションは、準備期間中のメンバーを鼓舞し続けた。また会場には阪下が実家に保存していたというYMOのお宝ポスターの数々が展示され、会場の雰囲気を盛り上げたのだが、この展示の美麗さは田舎laboのひろみ研究員のスキルに大いに拠った。他にもイベント制作の細々した部分をこいも研究員を始め、わざわざ東京から来たというひろみ研究員のお友達まで、田舎laboの受け入れ態勢とサポートにおんぶに抱っこのイベントでもあった。感謝しかない。ありがとうございました。
阪下の呼びかけに盛り上がった我々。YMOにここまでマニアックにアプローチすれば、それなりに集客できるでしょ……と強がってはいたものの、1ヶ月くらい前から続々と寄せられる予約・チケット取り置きの連絡に胸をなで下ろしていた面もある。訊けば入場者数約30名は、田舎laboでのライヴイベントの集客新記録だそうだ。土砂降りだったのに。仙台からお越しくださったお客様もひとりふたりではない。ご参加(ご来場と書きたくない)本当に感謝します。
感謝すると言えばこのライヴ、本当に微妙なタイミングでの実施になってしまった。ずいぶん前から個人的に覚悟はしていたが、まさか高橋幸宏、坂本龍一が2023年になって相次いで鬼籍に入るとは……。もちろんジェダイメンバーもそれぞれに深い喪失感を覚え、個々人で哀悼の意も表明してきてはいた。今回のライヴが便乗企画と思われるのはイヤだなぁと思っていたが、当日の会場、そんな心配は杞憂だった。開演前のMCでおふたりに黙とうを捧げた。服部はYMOに出会わなければ音楽の道を歩んでいなかっただろう。改めてイエロー・マジック・オーケストラと、彼らに関わったすべての人に感謝します。ありがとうございました。
本稿中の画像はFACEBOOK田舎laboアカウントにアップされたこいも研究員のレポートより拝借し、レタッチ等の処理を施したものです。
文中敬称略
レポート#3に続く