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佐々木朋義のギターを聴いていろいろ考えた

カラオケ+ギター弾きまくりというスタイルから学ぶ

· 音楽雑感
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佐々木朋義は友人にしてバンド仲間にして頼れるギタリストである。もう20年以上のつきあいになるのだが(書いてて驚いた)、出会った当時は仙台では珍しい「打ち込みの心を知るギタリスト」だった。左様、朋義は打ち込みで音楽制作を行いつつ、腰のグッと入ったロックギターを弾ける男なのだ。今なら別段珍しくもないスタイルかもしれないが、20年前と言えば音楽製作はMac。MIDIシーケンサーと何台も積み重ねたスレーブ音源がデフォルトの世界。少なくとも私の交友範囲にはロックのマインドと機材知識を兼ね備えた作家は彼ひとりだった。

 

その後いっしょのバンドで演奏したりしつつ、彼は彼で様々な商業音源の制作や後進の指導など、知見と演奏の腕前に物を言わせて、音楽業界に一定の地位を得ている。

 

朋義の演奏スタイルは、基本的にディストーションがかかっている時が一番生き生きしている。ロックと言ってももはやとらえ所の無い言葉になってしまったが、ジャズ的なアドリブやインプロビゼイションではなく、様式と計画を重視するセンチメンタルな演奏と作曲が持ち味だと筆者は思っている。バンドやセッションなど音楽の一部になることが優先される現場では、それら要素は確かに表出はされるが、片鱗としてしか聴き手には認識されていない節が感じられ、私にはそれが歯痒かった。「朋義節が全開になったらこんなもんじゃねえんだ」と。だから早くソロアルバムでもリーダーバンドでも作って、朋義の持ってるものを全部見せつけるようなものを作ってくれと、何度か言った事がある。

 

そんな朋義がソロライブを開催した。それもシリーズ開催である。定期的に仙台市内の酒場を会場に、自作のオケをバックに弾きまくるという趣向である。自作曲はもちろん、自分に影響を与えた曲、季節の曲、朋義が演奏するのは意外な曲などなどなど。実現してみれば如何にも朋義らしいパッケージだなぁと得心する内容だ。ほぼ3ヶ月ごとに開催して2019年12月に4回目を開催した。私は3回目だけ欠席したが、他の回は全て聴いている。ここでようやくタイトルに辿り着くことができた。朋義の演奏を聴くたびに考えるあれこれを書いてみたい。

 

最も強く思うのは、「好きなものを好きなようにやることこそ力を持つ」ということだ。オレはこういう音楽が好きだ!こういう演奏をしたいんだ!おりゃああ!というパッケージには誰も反論できない。もちろんそのクオリティは高くないとダメなのだが、朋義の場合それは心配ない。朋義の演奏を聴いていると「あぁ、こういうの、ほんっとうに好きなんだろうなぁ」としみじみ思う。自分も好きになれそうな気がする。強制的な共感とでも言うか、とにかく場がひとつになってしまう。そのためには演奏者自信が音楽を信じていないとダメだろうし、そこに揺らぎがあってもダメだろうと思う。

 

このソロライブは本当に朋義がひとりでステージに立ち、ギター1本で観客と対峙する。自作のカラオケをバックに弾きまくる。そう聴くと如何にも自由自在なように思う人もいるのではないか。オケを作り込んでおけば、好きな曲の弾きたい部分だけさらっと弾けば形になっちゃうでしょ、と思うだろうか。事実は逆である。フロントに出ずっぱりのギターが音楽の中で楽をしていれば(要はサボっていれば)、もうその音楽に命は吹き込まれない。事前に作られたオケをオケ以上の演奏に聴かせるには、フロントのギターはバンドの一員としてのギタリスト以上に歌い、曲をリードしなければならない。それで2時間以上ってんだからね。まぁMCの時間も長いけれど(笑)。とにかく、テクニック云々よりも音楽に命を吹き込む役割を終始担うというのは、演奏者としてもっとも重労働である。本人もMCで冗談めかして言っているが、これは本当に過酷なスタイルだと思う。何よりも「一番自由にやれるスタイルなのに、重労働」というパラドックスが辛い。

 

他にもいろいろ考えるが、いつもライブの後半は「もしオレがこういう風にやるならどうやるんだろう」というシミュレーションになってしまう。過去に同じようなスタイルにチャレンジしたことはあったが、本当にピアニカ1本だけでライブを作る体験はまだないと思う。

 

パレットおおさき星空演奏会「宙(そら)のかがり火」無事終了

 

ピアニカ1本とカラオケ、チャレンジしたい。