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「Ihatov / 北田了一」 マスタリングエンジニアから

慣れないマスタリングに四苦八苦しつつ、師匠のアルバムに関われる幸せ

· 音楽制作
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マスタリングの技術的詳細を記す前に、そもそも私、服部暁典と北田さんとのことを書こうと思う。北田さんとの出会いは詳しい日付を思い出すことができないが、1990年代の後半だったはずだ。仙台の楽器店が主催するある野外コンサートで、演奏者同士として出会ったのが最初である。私は20代の終わりで、演奏家としての自信と不安をはっきりと自覚しており、特に演奏家としての弱点をどう克服していけばいいのか、周囲の優れた鍵盤奏者の演奏からなんでもいいから吸収しようともがいていた(今思えばなんて真面目なんだろう)。

自分のバンドのサウンドチェックが終わり、客席で続きを見るともなく見ていた。すると普段聴いたことのない、飛びぬけたクオリティのピアノが耳に飛び込んできた。それが北田さんだった。ピアノと言ってもそれはヤマハ SY99のコーラスのかかったピアノプログラムだったが、流れるようなフレージング、自分には絶対に発想できないハーモニー、単なる伴奏者じゃないんだぜと言わんばかりの存在感に圧倒された。繰り返すがサウンドチェックなのである。きっとこの人は自分の知らない大御所の人に違いない。若く見えるけど相当年上の、百戦錬磨なお爺さんなのだろう。いや、そうじゃないと困る。自分とあまり変わらない年齢であんな演奏されちゃたまったもんじゃない。あれ誰?と周囲の誰かに訊き、その時初めて「北田了一」の名前を知った。その後の食事の時、私はそれとなく周囲のミュージシャンに北田さんって何歳なんだろう?と訊いてみたら、「自分で訊いたらいいじゃん」。なんと北田さんは自分のすぐうしろで弁当を食べていたのだった。思いっきり気まずかったが、仕方なく自分で北田さんに年齢を訊いてみた。なんと、年上は年上だがそれほど自分と変わらない弾き盛りな30代ではないか。

当時の私は、自分をそこそこ弾ける人ではあるという不遜な自信を持っていた。だがその時自分のすぐ近くに、次元が違うと言えるほどの技量差を持ったプレイヤーがいるということをイヤでも知ることになった。その日の本番のステージで自分がどういうプレイをしたかはまったく覚えていないが、北田さんの本番でのプレイは今でも覚えている。サウンドチェックよりも音数が減った分、余計に凄みを感じさせた。客席で私はサンドバッグになったかのように錯覚したものだ。

以来私は北田さんを鍵盤楽器演奏上の「心の師匠」と呼ぶことにして、隙あらばその演奏から何かを盗み取ろうとした。そうこうするうちに厚かましくもだんだん親しくさせてもらうようになり、自分の主催するライブイベントに参加してもらった時は、北田さんに伴奏させて鍵盤ハーモニカを演奏するという暴挙にも出た(あの時は本当に手指が震えた)。演奏や音楽人生の相談にも乗ってもらった(単なる愚痴とも言う)。今では特別な呑み会で腹を割って話せる師匠であり、マイルストーンであり、ライバルである。その気になればバカ話もできる。自分は幸運である。

Ihatov マスタリングを頼まれた
そんな親愛なる北田さんから唐突にメッセージが来て、アルバムを作るからマスタリングせよという。折々に聴く機会のあった北田さんの自作曲はどれも素晴らしかった。ぜひ後世に残すためにCDなどの音源として定着させた方が良い。いやその必要がある。「いいかげん音源(CDなどの流通物)を作ってくださいよ!」と私は催促し続けてきた。その意味ではとても嬉しい。だがよりによってマスタリングかよ!自分はプレイヤーにしてはレコーディング技術知識をある程度持っているつもりだが、CD制作のほぼ最終工程であるマスタリングは、アンタッチャブルであり一種の聖域という認識でいる。マスタリングという工程の詳細をここに書くことはしないが、失敗するとアルバム全体の印象が台無しになってしまう、最終トリートメント作業である。だから自分でミックスした楽曲は客観的な耳をもった第三者にマスタリングしてほしいと考えるし、よほどのことがない限り自分では手を出さないのだが……。なんと言っても師匠からのご指名。自分にとっても得難い機会でありチャレンジ。逡巡の末「あぁ、単なるひとりのリスナーとして聴きたかったなぁ」と思いつつ、承諾の返信をした。

後日収録予定曲のデジタルデータが送られてきた。興奮と緊張のファーストリスニング。不祥の弟子としては、そしてひとりのリスナーとしては大興奮である。聴きどころ満載。しかしマスタリングエンジニアとしてはやることが多すぎて頭を抱える……というのが本音であった。

マスタリングの実際
マスタリングは大別すれば次の3種の作業である。すなわち「音質調整」「音量調整」「曲間調整」の3つ。最後に挙げた曲と曲の間をどれくらい空けるかについては作家本人に決めてもらうとして、CD全体の音質と音量をまずは決めなければならない。そのつもりで改めて全曲を聴き、音質的基準曲をTrack3 Here is it!、音量的基準曲をTrack4 Lookng For The Sunに決め作業に入った。だが収録曲は25年以上の時間差があり、録音技術的背景もそれぞれ違う。業務用レコーディングスタジオでプロフェッショナルエンジニアが録音した曲もあれば、民生MTRからデータを拾い上げてきた曲もあれば、最新のプラグイン音源を使ってマスタリングまで済ませている音源もある。もっともそういう状態だからこそ北田さんはマスタリングを外部に依頼したわけで、泣き言を言っている場合ではない。

マスタリングエンジニアではない自分ゆえに、音量にしても音質にしても、1枚のアルバムとして全曲をなじませるのには思った以上に時間がかかった。集中して作業する時間が必要である反面、耳をリセット(場合によっては別のCDなどでリフレッシュしたりして)するために時間を置く必要もある。双方のバランスを取りつつ作業する必要があった。裏話的なものを少しだけすると、特に大変だったのはTrack5 Moon RiverとTrack12 Chagu Chagu Umakoである。前者はボーカルトラックに大量の歯擦音があり、その除去に手間取った(と書くといかにも高度な技術でクリアしたかのように読めるが、実際はあれこれ試したがうまく行かず、途方に暮れていたところ自分のライブラリーの中にディエッサー機能を搭載したプラグインを見つけ、秒殺できてしまった。あれはディスプレイの前でずっこけたなぁ)。後者はEDMと言っても良いくらいの「今どきのダンスチューン」を目指している作者の意図に反して、音質も音量も実に大人しいミックスになっていた(マスタリング前のミックスとしては正しい)。これをアナログテープにオーバーロードぎみにレベルを突っ込んだかのような、やや歪んだ音質にまで持っていった。こういうのは楽しいですな(笑)。

しかしはっきり言ってこのような枝葉末節は実はどうでも良いことだ。このアルバムには良いメロディとハーモニー、良い演奏がこれでもかと収録されている。手に入れたら浴びるようにこの良質で濃い音楽を聴いていただきたい。正直に告白すると、私は作業しながら3回くらい泣いた。北田さんとゲストたちの、嘘のない音楽への態度と真摯な演奏がスピーカーの前に立ち上ってくる。不慣れなマスタリングエンジニアという立場ではあったが、このアルバムの制作に関われて本当に幸せである。ぜひご一聴いただきたく、ご本人に成り代わりお願いする次第である。

作業の実際はMacintosh/MacOS10.13.X上のアプリケーションDSP Quattroと多数のプラグインエフェクターで行った。特にSSL社の一連のプラグインには助けられた。

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