
「くみとさっこのわくわくクラウンショー」の音楽担当として、鍵盤ハーモニカの生演奏で参加した。身体パフォーマンスステージに生演奏で参加する経験回数は片手に満たない。自分にとっては大いなるチャレンジだった。
■くみとさっこのわくわくクラウンショー
2025年3月22日(土) 17:00-/23日(日)11:00ー、14:30-
仙台市市民活動サポートセンター 市民活動シアター
全席自由 2,000円(当日2,500円)18歳以下無料


鍵盤ハーモニカの生演奏でやることは依頼の瞬間に閃いて、「オレがやるなら鍵盤ハーモニカのソロ演奏になるけど、いい?」と念押しをして、その場で承諾されたので今回の公演がある。ピアノソロ(ハーモニー)や音色(シンセサイザーや打ち込み)で空間を満たすよりも、か細い鍵盤ハーモニカの音色ひとつだけで演奏する方が、観客の耳を奪えると直感したのだ。素の身体表現に寄り添い得る生々しいフレーズや音色を自分が実現できるとしたら、鍵盤ハーモニカしかなかったというのが実情でもある。
会場はオール仮設座席で50席前後に設定。生音では少々心細い。また60分のショーを通して単音フレーズで押し切れるかというと、こちらも心細い。ということで持ち込んだのは以下の機材。
鍵盤ハーモニカ HAMMOND 44
フットエフェクター BOSS ME-70
キーボードアンプ Roland KC-100
部分的にダブロッカとベルも使用した。ダブロッカは親友あにまるから借用した。ダブロッカ以外は立奏である。二日間で三公演。地味に病身の自分としては体力的にけっこうな負担だった。

リハーサル時の画像。奥のキーボードアンプが本番のみKC-100になる
クラウンとは道化師のこと。パントマイムによるコメディを演ずる人たちという理解で概ね間違いなかろう。多くの人はそう聞いてサーカスに付き物のピエロを連想するだろう。むしろピエロはクラウンの一形態なのだそうだ。「くみとさっこ」の二人組は、実は「演劇ユニット石川組(旧Theatre Group OCT/PASS)」の俳優さんである片倉久美子さんと宿利佐紀子さん。ふたりは主に幼稚園・保育園や学校、市民センターなどで公演を重ねてきた。主な観客は未就学児や小学校低学年の児童。如何に修業要素が多いかわかる人にはわかる。それらのショーは当然園児・児童の保護者も観るわけで、好評を得て「他にはどんなところで観られるの?ぜひ観たい」とまで言われるようになった。素晴らしいことだ。そこで満を持して街中の小規模なシアターで単独公演開催を決意、どうせなら音楽は生演奏で……と計画を練る内に服部の名前を思い出していただいた次第。ありがたいことだ。
普段の公演でどんなBGMを使っているのか確認させてもらったら、基本的にはラグタイムスタイルピアノによるジャズだった。なるほどね。となると鍵盤ハーモニカのソロ演奏は「いつもとあまりにも違う!」ということになるだろう。また観客のほとんどは音楽など聴いていないということも考えられる。こういう諸条件をアウェイと感じる人もいるだろうが、むしろ「つまり好き勝手やって良いってことですね?」とアホの子のふりをすることにした(笑)。毎週のように行ったリハーサルでも、音楽は徹底的にこちらからの提案型だった。
実際ふたりがいつも幼稚園や学校で小さい人たちを対象にやっている「お決まりのプログラム(30分前後)」を見せていただくと、実に饒舌ですっかり観客気分で驚いたり笑ったりしてしまった。軽くお手合わせのつもりで音を出してみたところ、クラウンたちの動きや表現内容を補完するようなフレーズ、タイミングを探して演奏していた。自然とそうなってしまう。だがこのアプローチを突き詰めて行くとサイレントムービーやカートゥーンの音楽に着地してしまう。そうなるとクラウンの動きとフレーズのシンクロ具合が重要になってしまい、結果として動きからも演奏からも自由度がどんどん減ってしまう。半信半疑ながら「寄り添い過ぎない演奏」を心がけることにしたが、結果的にこのアプローチは正解のひとつだったと思う。
生演奏以外にも大いなるチャレンジがあった。今回の公演はシアターで約60分のショー。いつものプログラムだけではシアター公演の理由が希薄になってしまう。そこで劇作家の亀歩(かめあゆみ)さんが招聘され、いつものプログラムを組み込んだひとつの物語として構成する台本が生まれた。演出を兼ねる亀ちゃん(と愛称で書かせていただく)は、通常のクラウンパフォーマンスでの演目をしっかり組み込み、その上でクラウンのふたりの背景や動機、一心同体のように仲良しのクラウンふたりにも「わかりあえなさ」があることを一本の物語に見事編み上げた。ひとつの物語として補強された反面、セリフというものが一切ないクラウンがどうやってその物語を表現するか、また音楽がどう振る舞うか。自分にとっては非常に高度な脚本解釈の課題ともなった。実を言うと演者三人が「あ!そういうことか!」と物語の意味を腹落ちさせたのは公演の約2週間前だった。
そんなこんなで本番。実際のステージでは、驚きの連続だった。とにかく観客からのエンパワメントがすごい。特に桟敷席の子どもたちはクラウンと物語にしっかり参加してくれて、音楽でいうところのコールアンドレスポンスが成立してしまっていた。もちろん大人の観客もどんどん没入してくれて、まるで客席からエネルギーの波が押し寄せてくるようだった。初回公演ではその波に飲まれてしまい、対等なエネルギーで演奏するのにあっぷあっぷしてしまった程だ。うー、楽しい。

持ち込んだキーボードアンプとフットエフェクターは結果的に大正解だったと思う。演奏者と同じ方向から音が聞こえるというシンプルさは、狭い空間でのパフォーマンスではけっこう重要なことだと思う。そうそう、人生初のステージでのルーパー演奏も体験した。フットエフェクターによく見りゃルーパー機能が搭載されていた。やってみたらルーパー演奏、難しいですね。でもその魅力の一端はわかった。

その他にも大風が吹くシーンがあって、大風の吹き荒れる様をダブロッカの連打で表現してみた。いざ使ってみたら大風だけじゃなく、ちょっとしたブレイクビートみたいなものを叩いて、それが空気感の演出にも有効だった。太鼓叩くのは単純に楽しい。あとベル。ま、これは効果音みたいなもんですね。

今回の演奏から得られたことは、「見立て」という考え方にもっと頼っても良いという気付きだ。遠くを渡る風の音を鍵盤ハーモニカの低音のロングノートで表現する、ステージに置かれた段ボールの山をいつもの遊び場、秘密基地の壁に見せる。それらはあくまでも演者と制作側の提示するひとつの解釈であって、観客がこちらの思惑通りに受け取ることはまず稀だ。だがそれが良い。今回のステージはお互いが見立てたイメージの連続と言える。そこには「どう見立てるか」という観客側の自由がある。今回、特に客席の子どもたちは本当に自由に感じ、そして反応してくれた。リハーサルの間「子どもたちの反応で演者側のパフォーマンスも変わるくらいでやれたらいいな」と思っていたとおりになって驚いたくらいだ。それはもちろん幼稚園・保育園や小学校や児童センターなどで公演を積み重ねてきたくみとさっこ両名の経験値と表現力で担保されたものでもある。自分はそれに乗っかってひたすら良い気分で演奏してきただけだ。ラッキー!
あらためて片倉久美子さん、宿利佐紀子さん、亀歩さん、ありがとうございました。照明プランニングとオペレートの松崎太郎さん、迷った時の的確すぎるアドバイス、ありがとうございました。そして公演のお手伝いに入ってくださったみなさん、会場スタッフのみなさん、ありがとうございました。参加していただいた観客のみなさん、ありがとうございました。次回の公演があるならぜひ参加してくださいね。みんなで作ったステージです。本当に大感謝。