今回は少々心情的なことについて書いてみたい。純リスナーや演奏に興味ない方には何を言ってるかさっぱりわからない内容になるかもしれない。いや数ヶ月、あるいは数年後の自分が読んだら「何をこんなことでグチグチと悩んどるのか」と削除を考える内容になるかもしれない。が、演奏者として同じことで悩んだりあれこれ考えている方もいるかもしれないと考え、書くことにする。
私は鍵盤ハーモニカ奏者を自認する者であるが、一体に管でも弦でもそれ以外でも、単音で旋律を演奏するという行為は難しい。私は今その難しさに演奏者として「路頭に迷う」ような心持ちで毎回演奏している。
鍵盤ハーモニカは、日本では小学校の音楽教育課程にその習熟が含まれているから、そこから転じて「誰でも演奏できる楽器」という誤った認識が、少なくとも自分にはあった。求められたこともないし自分から演奏したいとも思わないが、やればそこそこやれるっしょと思っていた。あの時までは。ギタリストの友人がある日「酒場でやる結婚式2次会の演奏」という仕事を取ってきた。カウンター中心の小さなお店だからシンセだのアンプは持ち込めない。リクエストはちょうどその頃ヒットしていたChange The Worldで、友人はアコギで弾き語るという。当時ピアノ演奏に今よりも強く深いコンプレックスを持っていた私は、「自分はシンセサイザー奏者である」というアイデンティティで武装していた。だから「シンセ持ち込めないけどいっしょに演奏してくれ」というオーダーの真意を計りかね、おいおいシンセ持ち込めないのになんでオレなんだ、と文句を言ったと思う。すると友人は「ピアニカでいいんじゃない?」とさらっと言った。適当に間の手やアコーディオンみたいなロングノートでやってほしいという。パーティの余興のひとつで演奏するのは1曲だけだし(いや、2曲だったかもしれない)、せいぜい10分20分の演奏だからそんなんでイイという。
で、私もその気になってしまった。あ、そんな程度ならピアニカでもいいかもね、と。当時仙台市夜の繁華街・国分町のとあるお店でその友人と決まった曜日に演奏するプロミュージシャンの真似みたいなことを始めたばかりだったから、こう、頼まれてきちっと演奏するという行為を実践する現場がひとつ増えた……くらいの認識だったと思う。パーティで1-2曲ピアニカで演奏してすぐ帰る(同日にいつものお店のいつもの演奏もしなければならなかった)。つまりは「端た仕事」だな、と舐めていたのだ。20代の前半だったはず。本当に何もわかっていない大馬鹿野郎である。
とにかくそんな舐め具合だったから、小学校の音楽の授業で使っていたヤマハのピアニカを物置から探し出してきて、当日にさらっとコードやフレーズをさらっただけで会場入りした。斯様に舐めきった若造だったが、実際の演奏は真剣にやった記憶がある。なぜならそのパーティ現場の本番で、私は鍵盤ハーモニカをまったく思い通りに演奏することができず、四苦八苦、大ショックを受けたからだ。
私はアカデミックな音楽教育を受けたことがほぼ無く、電子楽器ばかり独学で演奏してきた。だから鍵盤ハーモニカ演奏の一番の要諦を自覚することなく本番に臨んでしまったのだ。その要諦とは「息継ぎ」である。シンセサイザーに息継ぎはいらない。恥ずかしい話だがChange The Worldが始まって最初のサビのあたりで、何をどうやっても息切れして、そこで初めて「息継ぎってどうやるんだ?」と目を白黒させることになった。当然フレーズなどズタズタである。いや酷かった。すみません。
珍しくそこで「こんなの弾けるかよ!」と放り出さず、練習し始めたのは偉い。そこで初めて気が付いたのだ。あらゆる旋律の演奏には息継ぎが必要だと言うことを(例外はある。ヘビーメタルのギターソロとか)。逆に言うと今まで自分がインプロビゼイション、アドリブなどと思って弾いていたものは、単に指の屈伸運動に過ぎず、抑揚のないただの音符の羅列だったということもうっすら自覚した。以来、私は旋律/フレーズというものの演奏にあたり、どう演奏するのがその旋律を一番活かすことができるかと考えるクセが付いた。
これは演奏者として真っ当で正しいアプローチだが、同時に地獄の始まりでもあった。三歩進んで二歩下がるを地で行く修行である。一方ちょうどその頃、バンド様式のライヴ現場で鍵盤ハーモニカを吹くなんて人はほとんどいなかった。あの大音量のステージ環境では鍵盤ハーモニカの微細な音をマイクで拾うには周到な準備や音響技術者の理解と補助が必要だが、そんなことに付き合ってくれるオペレータさんはなかなかいなかった。そんな状況は視点を変えればライバルがほとんどいないということだ。まさにブルーオーシャン。ジャズフュージョン鍵盤奏者の未開拓領域を見つけたようなワクワク感があり、ますます鍵ハモにのめり込んだ。
鍵ハモ奏者の先行者(笑)として、自分にしかできない演奏、奏法を見つけたい。要は後続奏者との差別化である。こっちゃそれなりにこいつを吹いてきたんでね、まぁ聴いてみてくれよてなもんである。改めて文字で書くと本当にいやらしい思想ですね。とにかく小学生が音楽の授業で出すような、平坦な音にならないことに執着した。簡単に言えばブレスの強弱でフレージングに息吹を吹き込むというわけだが、鍵盤ハーモニカという楽器はこのアプローチにがっちり応えてくれた。やればやるほど単音演奏が楽しくなってくる。フレーズも生き生きしてくる。もっと抑揚を大きく、もっと分かりやすく……と。ライヴ現場で鍵盤ハーモニカを演奏するにつけ、色々な人から「ピアニカであんな演奏ができるなんてびっくりしました!イイですね!」などと言われる機会も増え、こっちも得意満面である。最終的に鍵盤ハーモニカの演奏とはヴォーカルの心得と同じなんだな!とわかったような気になっていた。
ところがある日、クルマを運転しながらiPodにシャッフル演奏をさせていたら、やたらと自慢げに強弱の抑揚をつけたクドイ鍵盤ハーモニカの演奏が流れてきて驚いた。自分の演奏だと気付く前に「うわ!クドイ!」と拒否反応を示してしまった。もちろん直感的になぜその演奏を拒否するのかもわかった。単に自分の演奏に酔っているだけの演奏だったからだ。え?これ、オレか?酷ぇな……。これが鍵盤ハーモニカ演奏に関する2度目の衝撃であった。そのあと信頼できる音楽家の友人に「オレの鍵ハモ演奏ってさぁ……くどくない?」と訊いてみた。友人は即座に「あ、気が付いた?」とさらっと言ってのけた。ありがたいことだ。
平坦ではダメ。しかし抑揚を付け過ぎてもダメ。その日その時のステージの空気にもよるし、客席やいっしょに演奏しているミュージシャンたちの反応によっても同じ旋律/フレーズの解釈は毎回異なる。正解のないフレーズ演奏地獄にいることを自覚したわけだが、自覚したからと言ってフレージングが目覚ましく上達するわけでもない。やりすぎのクドイ演奏はいつでもできるんだから……と自分を慰めて、そのクドさからどれくらい灰汁抜きをするかということを常に意識して楽器を演奏するようになったのは、成長と言っても良いと思う。や、思わせてくれ。
2024年9月8日第33回定禅寺ストリートジャズフェスティバルの一環として開催されたJAZZ ON Da Te RIUMに於て、仙台の名だたるソリストに交じってジャズスタンダードを2曲演奏したが、「とにかくやりすぎない!」と念仏のように唱えつつの演奏だった。しかし実際のところ自分の演奏を客観的に判断できていない。ただGeorgia on my mindを吹いた時、自分のフレーズとフレーズの合間にピアニスト江浪純子さんの情感たっぷりのハーモニーフェイクや、ドラマー三露采市君の「わかってる」フィルがすとんとはまって聴こえたので、自制はそれなりに有効だったんじゃないかと思っている。
とは言えこの結果だって、あの日あの時は吉と出た、ということに過ぎない。難しいけど楽しい。楽しいけど難しい。次の現場ではもっと良くなるようにします。
※正式な楽器名は「鍵盤ハーモニカ」。ピアニカはヤマハ株式会社の固有の名称です