コンテンポラリーダンスを間近に観て、どう解釈するのが「正解」なのか考え込んでしまう自分を、『そんな難しいこと考えなくてもいいのよ!』と解放してくれたのがダンサー千葉里佳さんだ。実際にダンスを通じてそのことを強く伝えてくれて、以来自分はあらゆる身体表現、パフォーマンスを気楽に真正面から観ることができるようになった。ありがたい。ある意味で恩人である。
その里佳さんが主催するダンス公演「あなたの踊りがみたいっ!」を観に行ってきた。里佳さん以外にもふたりのダンサーが出演して、それぞれソロで踊る。そもそもそれぞれの踊りを客席で観てみたいという欲求から企画された公演なのだ(タイトルどおり)。自分はこういう出演者中心の小さな公演が大好物。なぜかというと企画趣旨に嘘が混じりようがないし、客席50席程度規模の会場で見聴きする表現行為が一番身体にドスッと響くと思うからだ(大きな会場での公演にももちろん別の良さがある)。
内容は本当にダンサーごとに千差万別と言う他ないものだった。私は音楽を作る人間だから、どうしても音/音楽へのアプローチという興味から理解していこうとする。しかし今回の公演では特にそのことが作品を理解するのに邪魔だなぁと思った。そう思ってしまうほどに訓練されたダンサーの身体表現は雄弁だった。だからまず身体の動きに驚き、感心し、で、どうしてその動きが出てくるのだろうか?という興味から音楽を理解する方が楽だった。今回は生演奏はなく、音楽はすべて再生音源だったが、これが生演奏との共演だったら観ているこっちの脳みそが沸騰してしまっただろう。目の前で繰り広げられるダンサーの見たこともない動きを、間近で余さず観るだけで情報過多なのだ。ダンスはまだ自分には新しい未知の表現行為。これが音楽のライヴなら適当に取捨選択もできるのだが。
我妻青衣さんの作品はとても丹精でソリッド。踊りの先に何かを感じようとするなら我妻さんの踊りは良い材料になると思う。終演後の公開座談会で解ったのだが、きちんと振り付けされたものだった。なんというか、身体の動きにひとつひとつ理由があり、表現すべきテーマに向かって一直線に突き進む。ただそこにはちゃんと緩急があって、力技でねじ伏せられるような印象は皆無。ただし余白が少ないとも思った。実年齢はわからないがお若い方のようなので、「間」とか余白とか、そういう余裕が生まれればまったく違うタイプのすごいダンサーになるんじゃないか?と勝手に期待してしまう。
千葉里佳さんの作品はもっと自由で、始まりはともかく、ステージ上でどんどん内容が膨らんでしまい、終わりの辻褄を合わせるのに苦労しているようだった(や、苦労はしてないか)。踊っている最中にどんどん発展させていくから音楽に合わせて終われないという(笑)。いや多分彼女はただ感じているだけなのだ。とにかく里佳さんはその場の空気を感じ取って身体の動きに翻訳するのが超絶うまい。特にふたつめの作品では踊りながらどんどん笑顔になっていき、その表情まで「表現」として客席にぶっこんでくる。観客も他人事ではいられず、観客の息遣いまで含めて作品に昇華してしまう。ベテランなのに踊るのが楽しくて仕方ない風で、そりゃ観てるこっちも嬉しくなるわ。
ゲストとして出演されていた鯨井謙太郒さんは結果的に出演者中唯一の男性で、背が高くステージでの存在感が女性ふたりと違う。鯨井さんの踊りで一番魅かれたのはその息遣いで、息を吸ったり吐いたりするヒュッという音が、身体の動きとセットになって客席にはみ出してくるような錯覚を覚えた。もうね、それがある意味快感なんですな。前述したように長身痩躯だから、アクティングエリアの空気が身体の動きに合わせてうねり動いているかのように見える。後半急きょ決まったという里佳さんとのセッションでは里佳さんに合わせたのか全体的にメロウだったが、基本的にソロでのダンスはダイナミクスを目一杯楽しめた。
音響と証明も素晴らしかった。なにしろステージ上で作品を組み立てて行く人たちとガチで組むわけだから、その操作は楽しくも大変だったろうと思う。それにいくら即興性があるとは言っても、音響も照明もプランを立て仕込まなければならない。つまり事前準備が8-9割という側面を免れない。仙台の照明家の大ベテラン・松崎太郎さんが照明協力としてクレジットされていて、さもありなんの心。でも音響・菅野光子さん、照明・吉田裕美さんの両オペレーターはダンサーに付いていくだけでなく、場面場面ではリードしていると思う瞬間もあって、見応えある舞台に貢献していた。
で、音楽を作る立場から観るとどうなのか?という話。まぁこれは余談だ。今回三人のダンサーが使用した曲はすべて拍子と一定のテンポがあり、それが非常に不自由に感じられて仕方なかった。ダンサーの動きは程度の違いはあるが、非常に滑らか。解像度が高い。だがそこに一定の拍子とテンポが決まった音楽が流れることによって、まるでアンカーのような、飛び立とうとする鳥の足かせの役目を果たしてしまっているようだった。それは言い換えれば自由に身体を動かすダンサーを「理解しやすい表現」につなぎ止めているとも言えるし、おそらく踊り手だって無音で身体を動かすのとは作品の作り方そのものが異なるだろう。それはわかる。でもちょっと窮屈に感じる瞬間があった。ただし鯨井さんの作品はそもそもチェリストの生演奏(曲はバッハの無伴奏チェロ組曲)とのセッション前提で作られたものだそうだから、音譜の動きと身体の動きが見事にシンクロする瞬間が何度かあって、それはグッと来たのだけど。ここからさらに妄想だが、自分が彼、彼女らの踊りに音楽を提供するなら、もうアンビエントとかノイズしかねーなと思いながら観た。そういう音で身体を動かすインスピレーションが湧くかどうかはともかく(笑)。
当日パンフレットを読むと、作品理解のための言葉がたくさん綴られている。また前述したように、公演後は制作の伊藤み弥さんのMCで座談会もあり(会場全体の作り方も流石の手腕でした)、自分の作品についてダンサー本人が言葉で解説する時間もあった(我妻さんの作品については演出と振り付けの深谷正子さんもお話しされた)。それらの言葉を知ってから彼女たちの踊りを観たら、また違った感想になったと思う。が、踊っている最中にパンフレットは読めないし座談会は終演後である。もういちど知識を得た上で踊りを観てみたいっ!と、私は切実に思った。まぁね、自分の曲の解説をするミュージシャンは信用できないし、身体の動きの詳細を解説できるならダンサーじゃなくてインストラクターになれという話ではあるのだが。まだ自分は「解釈に正解が欲しい」のか?とちょっと驚いた。自由って難しいですね。里佳さんありがとう。
あなたの踊りがみたいっ!-ソロばかりのダンス公演-
2024年11月30日(土) 11:00- / 15:00-
せんだい演劇工房10-BOX box-1
11:00からの公演を観賞
終演後10-BOXのウッドデッキにて。
久しぶりに会えた方もいて、
そういうのもライヴに足を運ぶ理由になりますね