photo by Kenji Ichinose
Jun.15, 2008, LIVE HOUSE enn
Solid Chamber Orchestra Live

服部 暁典 はっとり あきのり
1968.07.17〜

音楽制作家。

物心付いた頃から音楽に取り憑かれ、独学でキーボード、ギター、ベース、ドラムをマスターし、曲を作り続ける。現在は軸足を鍵盤楽器演奏に置き、ライヴ、レコーディング、演劇音楽まで幅広く創作すると共に、レコーディングエンジニアリングの修練にも余念が無い。

■1968年
誕生
■1972年 5才
通っていた幼稚園で行われるオルガン教室に参加する。この結果エレクトーンを買ってもらった。この頃近所のあぜ道に捨てられていたオルガンで初めて曲を作る。
■1973年〜1974年 6〜7才
ヤマハのエレクトーン教室に通う。イヤでイヤでしかたなかった。おぼえたコードはCとFとGだけ。2年間通って、ですぜ??
■1975年〜1978年
典型的なテレビっ子として漫然と生きる。しかしアニメソング系の憶えは早かったような気がする。特に小学校3〜4年頃「ルパン三世」に夢中になり、知らないうちに大野雄二サウンドに洗脳される。おかげで歌の無い音楽=Instulmentalに免疫ができていた。
■1979年 11才
TV番組「笑点」の手品のバックで流れていたYMOの「technopolice」に大衝撃を受ける。あのトランペット風の音色で奏でられるサビが私の人生を変えた。もっとも一体誰のなんと言う曲なのかも解らずに興奮していた。だってレコードなんか買ったこと無かったもん。長男って不利だよな。
これはシングル。アルバムヴァージョンとの違いは、イントロ部分のシーケンスフレーズのフランジャー。こっちの方がエラくカッコいい。当然のことながらジャケ写の女性の人形のおっぱいが透けて見えているのも当時はエロ度満点だった。
■1979年〜1980年 11〜12才
友人からYMOの手ほどきを受ける。朝目覚めてから夜眠る直前までYMOの音楽に支配される。とにかく死ぬ程聴きまくった!!!!また学校に行けば、友人N君とコピー合戦。足踏オルガンでファイヤークラッカーだの何だの、知ってる曲は全て弾いた。「エレクトーンやってて良かった」と秘かに思う。死ぬ程シンセが欲しかった。ラジカセとカセットデッキによるピンポン録音を始める(もちろんエレクトーンでだぜ!)
■1981年  13才
中学校入学。クラスメイトのA君からRC succesionの手ほどきを受ける。偶然にもキヨシローと教授が「い・け・な・いルージュマジック」をリリース。RCのコピーもやり始め、適当にコードを弾くことを覚える。が、メジャーもマイナーもわからずすべてドミソの平行移動だった。初めてバンド(のようなもの)を組む。
RCを聴き始めたことによってだんだんウタものにも興味が行き始める。バンドのようなものではRCのドパクリ状態のオリジナルを演っていた。ちゃんと録音してたんだぜ!今もどこかにあるはずだが、誰にも聴かせられないのは言うまでもない。
■1982年  14才
なぜかオフコースにはまる。5人編成になってからのアルバムは全て持っていた(もちろん貸しレコード屋で借りてきてダビングしただけ)。もう少し本格的なバンドを結成。この頃ドラムを叩けることに気がつく。オフコースのドラムって、その気になれば誰でも結構叩けますよね。もっとも当時の演奏のテープを聞くと単にドタバタしてるだけだが。
■1983年  15才
友人IからKORGのシンセMONO/POLYを長期レンタル。シンセの音作りの基礎をマスターした。この頃からフュージョンに傾倒する。中学校のクラスの卒業文集には「カシオペア命!」と書いた。微笑ましいエピソードではある。
Looking Upのイントロがスピーカから出てきた時は本当に衝撃を受けた。Casiopeaというバンドは、Cross PointからこのPhotographsまでが最強だと思う。
■1984年〜1986年  16〜18才
高校3年間カシオペアしか聴かなかった。だから今でもあまり80's洋楽って詳しく無いのさ。今思えばこれが私の人生最大の過ち。最初のシンセサイザーKORG POLY-61を高校入学祝いに買ってもらう。猿のように多重録音(もちろんピンポンだぜ!)をくり返す。
■1986年  18才
学校であまりにもカシオペアと騒いでいたら、コピーバンドに誘われた。これが及川君との出会いとなる。カシオペアコピーバンド「ゴゲチャバル」に参加。メンバーはgt:石亀帝志、Key:服部曉典、bs:中村英彰、dr:及川文和。リズム感の無さを及川君に徹底的に指摘される。修業だった。
■1987年〜1990年  19〜22才
音楽に行き詰まる。何を聴いてもあまり面白く無く、演奏も上達しなかったが、高校で知り合った松澤君に色々教わって音楽の奥深さにもう一度気が付き始める。一緒に単発でバンドを組んでライヴやったりしていた。和音の奥深さにも目覚めるが、これは今に至るまで目覚めただけで勉強していない。初めてのボーナスでSPX90IIとカセットMTRを購入。ますます猿化が進む。
■1990年  22才
女房(結婚前)に感化されてPrinceに傾倒。以後神と崇め奉る存在になる。
発表当時そうとう物議をかもしたLovesexyというアルバム。初めて聴いたときはなんだかヘンテコな音楽だなぁ、と思ったけど。
■1991年〜1992年  23〜24才
この頃ELECTRIC HIKO BAND結成。メンバーはgt:松澤直樹、Key:服部曉典、bs:佐藤弘基、dr:及川文和。チック・コリアだの、アル・ディメオラだの、渡辺香津美だののコピーを演っていた(厳密にはコピーではなかったが)。3〜4回ライヴを演って自然消滅。練習で燃え尽きてしまうんだよね(笑)。
これは最初のライヴ。場所も今は亡きスタジオアドヴァンス(笑)。今見ると皆痩せてるね。
■1994年  26才
違う人達と違う音楽を演ってみたくなり、全てウタもの、自作を目標にバンドを結成する。ライヴを2回行うも、空回って自滅。
これですでにギタリストデヴューを果たしていたのだった。当然シンセも弾きましたけど。
■1995年〜1996年  27〜28才
松澤君に声をかけられ、Tsutomac Crowというお店でデュオ(+DJ)で演奏し始める。当初はDJ(DJ Kou-g)の出すブレイクビーツにあわせてインプロビゼイションを繰り広げていたが、だんだん形になった曲を演奏するようになる。同時にKou-gから「ブレイク出しながらスクラッチはキツイっす」と泣きが入ったため、自然に作曲+打ち込みによるカラオケ作りが頻繁になる。月2回の演奏なので2週間で8〜9曲作る勘定。修業でした(遠い目)。だけどコヤシになった。いろいろ機材的トラブルも経験できたしね。
この頃作ったカラオケを再利用して松澤君とアルバムを1枚まとめようと思っているんですけど、いまだ果たせず。
■1996年  28才
上記のデュオと平行して松澤君がギタートリオを結成。Tsutomacにてデュオ演奏の合間の週に演奏するようになる。観客として見に行ったら「なんで楽器を持ってこないんだ」と叱られた。次から参加するようになる。これこそ松澤社中の前身である。後日菅野さんが参加。97年だったかのヤマハの屋外イヴェントで初めて「松澤社中」を名乗る。名付け親は当時「社中」という言葉に凝っていた及川君。
初めて定禅寺ストリートジャズフェスティバルに出た時の写真。
■1998年 30才
世間様に初のリリースとなるCD-Rソロ作品「Bomber Apple/I.O.S. edited by Aquinori Hattori」をレーベルI.O.S.より発表。
もっとも制作は96年から2年越しでやってましたが。a-datで全部手弾き(ギターもベースもね)。あの頃は鍵盤弾いてる時間よりギター弾いてる時間の方が長かった(笑)。

社中のファーストアルバム「哀愁の吉成」発売。YAMAHA仙台店6Fホールで発売記念ライヴ。80余名を動員。上京しメジャーデヴューを決意する(嘘)。
これまた物議をかもしたジャケ。おかげさまで大好評でした。
■1999年 31才
対外的には初のソロアルバム「暁-acatsuki-」をレーベルI.O.S.より発表。「Bomber Apple…」は人様の曲をリアレンジしたものだったのでソロアルバムという認識は無かった。全曲自作曲という意味で初。
マジで気合い入りまくりの作品で、臆せず色んな人に買ってもらった。今となってはしょっぱい出来。
■2000年 32才
この頃社中の演奏活動がピークに。月イチくらいのライヴをコンスタントにこなし、メンバーの作曲活動も活発化。波及効果でソロ作品の制作にも弾みがつく。また社中以外の人達とも共演の機会が増え始める。MUSIC "alive"への参加や、単発のセッションバンドなど。
■2001年 33才
2000年中ずうっと録り続けていたソロアルバム「典楽」をレーベルI.O.S.より発表。
見ず知らずの方のサイトにてCD評を発見。作者の手を離れた作品が第3者に評価される場面を初体験。自作曲への自分のスタンスの取り方が変化しました。作曲のテーマもどんどん内向的に。

とあるライヴ用に1回限定で組んだつもりのプロジェクト「大門」が急成長。ファーストアルバムをレーベルI.O.S.より発表。
知りあいはもとより関係各方面から絶賛と嘲笑を浴びた問題作。ミュージシャンではない人達とコラボレイトするのは思った以上に楽しかったです。ただ作業は結構しんどかったですが。

シンガーソングライター、さとう智文君のバックバンド「さとう智文 with 伊達者」に参加。
■2002年  34才
夏頃、松澤社中が活動終了。基本にもどってデュオ演奏なども復活。松澤君以外とも「淫ストバンド」や「大門」でライヴを行う。さとう智文君のワンマンライヴも6月と12月に2回行われた。
■2003年  35才
さとう智文君のアルバム「color」発表。演奏以外にレコーディングエンジニアリングを担当。初の本格的バンドレコーディングを(エンジニアとして)経験する。
演奏はもちろんがんばりましたが、エンジニアとしては実質この作品がデヴュー作。そっちの方でも全精力を傾けました。買って!聴いて!

松澤君とのデュオ演奏が本格化。「ヒゲ人生」を名乗って小規模ライヴをコンスタントに続ける。新しくオープンしたライヴハウス「パークスクエア」の月例ジャズイベント「P.S.Jazz Night」を松澤君と共同プロデュース。松澤直樹グループが始動。
■2004年  36才
5月2日 アルバム「Cube」をレーベルI.O.S.より発表。
「暁」〜「典楽」と続いたメロディアス・インストゥルメンタル路線からの逸脱を計る。ノーゲスト、作曲、編曲、演奏/自分、という製作方法は実は結構久しぶり。
■2005年  37才
5月 アルバム「Life is (not) so easy」をレーベルI.O.S.より発表。
実に7年越しの構想を経てようやく実音化。関係ミュージシャン、エンジニア、友人…、たくさんの人々の協力を得て、音楽活動の集大成として発表。perform,produce,engineering、完全燃焼しました。出来上がった時は。

松澤直樹・山田佳津良「LOVE SONGS」のレコーディングに参加。エンジニアリング担当。
現在流通ルートに乗っていませんが、ぜひふたりから直接手に入れてください。良質な音楽を考えるきっかけになると思います。

12月 松澤直樹ソロアルバム「Silence」発売。エンジニアリング、その他諸々を担当。
2005年現在のジャズのサウンドというものを意識して録音しました。
■2006年  38才
2月 仙台を拠点に活動するKeyboardist同士のネットワーク構築を目指すムーヴメント「Keyboardist Union@仙台」を始動。
Vol.1の参加者はちゃんもつさん、キリマル、保坂敏英と服部。コンピレーションCDとライヴの2本立て。

7月 Label I.O.S.よりコンピレーションアルバム第1弾「everlasting phunky」発表。 過去のアルバムからファンキーな曲をセレクト。新曲として「Gentle Gang」を収録。

8月 センダイガールズプロレスリング公式応援歌レコーディング及びマスタリング担当。 詳細は暁スタジオレコーディング日記のこちらを参照のこと。

9月 Keyboardist Union@仙台Vol.2 コンピレーションCDとライヴ
ちゃんもつさん、服部に加え、ひでちうさんと内ヶ崎雅人さんが参加。

12月 Label I.O.S.よりコンピレーションアルバム第2弾「Mellow Out」発表。
過去のアルバムからメロウな曲をセレクト。新曲として「Better Steps」を収録。
■2007年  39才
2月 通所福祉施設のぞみ苑とせんだい演劇工房10-BOXの共同企画である「第2回Nozo-Mix公演・みとこうもん」に音楽で参加。
劇中音楽を生演奏。時代劇なので着物を着て演奏しました。

9月 アルバム「Blooming」をLabel I.O.S.より発表。

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2005年の「L.I.N.S.E.」発表後の音源を厳選して収録。意図せず一人多重録音的手法に回帰した作品になりました。新曲はもちろん、2006年中にリリースしたコンピレーションアルバム収録曲や演劇用の音楽も網羅。
■2008年  40才
3月 自己のバンドSolid Chamber Orchestraのファーストアルバム「The Solid Chamber Orchestra」をLabel I.O.S.より発表。
2007年8月30日に行われたライヴ音源を基に積極的な編集、ダビングを加え、さらにスタジオ録音の新曲も収録。ショーケース的ミニアルバム。

3月 通所福祉施設のぞみ苑とせんだい演劇工房10-BOXの共同企画である「第3回Nozo-Mix公演・うらしまたろう」に音楽で参加。
特製タコのかぶりもの。機材詳細や演奏所感はこちらを。

9月 Theatre Group OCT/PASSの新人公演にて劇中歌のアレンジを1曲担当。
■2009年  41才
1月 Keyboardist Union@仙台Vol.3 LiveにSCOで参加。Livehouse ennスタッフの星君のオーガナイズにより装いも新たにリスタート。
L-Rで。森木啓太(Bs.)、服部、秋保太郎(Dr.)、工藤孝信(Syn.)、菅野智之(Vo.)。このメンバーでは日本語によるファンクを追求する所存。

2月 通所福祉施設のぞみ苑とせんだい演劇工房10-BOXの共同企画である「第4回Nozo-Mix公演・白雪姫」に音楽で参加。
機材詳細や演奏所感はこちら